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中野~荻窪周辺のおすすめグルメを紹介します!

いつでも一人どこでもアウェイ

手取り40万欲しい。

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悲しいことが続きます。人の脳というのは、何がどうなっているのでしょうか。「やめた方がいい」と分かっていることを行ってしまったり、明らかに誤った判断をしてしまうことがしばしばあります。私の場合、衝動的に動いてしまうことがとても多いです。自分の体が自分のものでないような感覚が強く、いつも思い通りになりません。自我を持った人間として生まれてきた自分を、上手く認識することが出来ないのです。鏡を見たとき、手のひらを見つめる時、「なぜ自分なのだろう」と思ったことはありませんか。“この自分”というのは、本当に自分なのでしょうか、何かの手違いで自分はここにいるのではないか、自分の存在自体に強い違和感を覚えてしまいます。他人と関わる以前の問題として、自分自身が分かりません。

生というものは究極の理不尽です。母親の胎内から外に出た瞬間から、自分は“自分であること”を強制されるのです。この手が、この足が自分の意思によって動くとしても、自分の感情というものは制御などできず、脳から身体への電気信号は送られ続けます。知人に酷いことを言ってしまったあの時、子供に手を挙げたあの時、腕を切ったあの時、何がいけなかったのでしょうか。それは本当に自分の意思だったのか、考えてみてください。何かこう、違和感が……後悔をすり替えているだけかもしれませんが、どうにも言えない感覚を覚えてしまいます。自分の身体は、自分で動かせないのではなかろうか。この違和感は、自分に常に付きまといます。

 

かの尾崎豊は 『LOVE WAY』において、

何時も何かが違う 生きて行くだけの為に

こんなに犯した罪を 誰も背負いきれない

と歌っています。いつも何かが違う!この言葉は、自分の覚える違和感や虚無感に対する一つの解に思えました。尾崎が言うんだから、そういう事なのでしょう。全ての存在は罪を背負わされるので、罪深い皆さんも是非聴いてみてください。

 

この違う感じは、皆さんも社会生活や人間関係において、多かれ少なかれ感じることかと思います。生まれたことが間違いだ!とまでは行かずとも、“自分はこうあるべきだ”・“こんなはずでは無かった”という漠然としたイメージと現実とのズレに悩むことは少なくないはずです。

このような違和感を、自分の身体にピンポイントに向ける人々がいます。先日のブログでも少し触れましたが、身体完全同一性障害という障害のある人々は自分の身体に強い違和感を抱き——例えば、五体満足の身体を「間違った身体」であると感じ、腕や脚を失くしたいと考えるそうです。

自分は小学生の頃、偶然この障害についての記事(X51.ORG : 四肢切断を熱望する人々 - 身体完全同一性障害とは注※裸体画像等あります。)を読み、かなりの衝撃を受けました。その衝撃を自分の中に留めておくことが出来ず、理科実験室で「こんな病気が…!」と同級生に説明していた記憶が蘇ります。「生まれつき手足の無い人に失礼だよ!」というクラスのYちゃんの反応は、この障害に対する世間の反応そのもののように感じます。失礼なのだろうか、許されないことなのだろうか、取り憑かれたようにグルグルと考え続けました。

自分には自殺願望があります。物心つく頃には死に対するプラスのイメージを抱き、“自分の存在しない状態”こそが正しいと感じてしまいます。単純に生きることの苦痛から逃れるために死にたいという感情もありますが、前述のような違和感も大きな要因になっています。それに対し「生きたくても生きられない人がいるのに~」「頭がおかしい」というような言葉をかけられることも多く、その度に釈然としない気持ちになっていました。

大人になって、死にたい人もいれば死にたくない人もおり、おそらく分かり合えない!という簡単な結論に気付いた時、自分の脳裏にはかつて読んだ記事が浮かびました。自分の手脚を失くしたい、目を潰したい、という感情は万人に理解できるものではありません。適切な治療により、その願望を取り除くことが、社会的・倫理的には正しいことなのかもしれません。しかし、左腕を切り落とすことで当人にとって“正しい自分”になれるのであれば、それを否定する権利は誰にもないと思います。そう考えると、この自殺願望も理想の実現に向けた一つの方法ではないかと感じます。自分という異物を取り除きたい。

つまり何が言いたいかというと、失礼でも不謹慎でも見苦しくても、この死にたさを否定されたくない!肯定されたい!!!あと手取り40万欲しいです。良くも悪くもひたすらに思考を巡らせてしまう我々は、誰一人同じはずがありません。当然ですが人間の数だけ考え方・感じ方があり、そこに優劣や是非はないと思うのです。それぞれの理想や正義があり、いつも何かが違くても、自分はその中で死んだように生きるしかありません。尾崎曰く、生きてるだけでめっちゃ罪を背負わされるのです。なら仕方ない。生きづらい皆さん、尾崎豊を聴いてください

 

悲しいことが続きます。とりあえず今週は天井のタイルを数え、有意義に過ごすつもりです。